Mjuka

てきとうに。

二十二世紀は遠く

 「世紀末」という表現がはたして各世紀のいつごろを指すのか曖昧だけれど、ともかく二十世紀も残すところ十年とちょっととなったころのきょう、ぼくは生まれた。第一声がなんであったのか覚えていない。なにより、ぼくは話しはじめるのが遅かったらしい。きっとそれは、ぼくの代わりにおしゃべりな姉がふたりもいたからだろう。
 ぼくの生まれた世紀末の一日は暑かったらしく、数少ないアルバムに差し込まれた赤子のぼくの写真の横にはその様子が書き記されていた。ぼく自身が夏の暑さを認識するのは、その何年後のことだったのだろうか。
 夏は暑く、冬は寒い。こうした四季は来世紀にもあるだろうか。ことしのきょうは暑かった。たぶん、世紀末のあの日と同じように。生クリームはすぐに溶けてしまう。けれど、苺の季節は夏なのだ。そういうケーキにふさわしくあり、ふさわしくない季節が、ぼくの身体では二十数回、繰り返されている。来世紀のきょうは、どんなきょうだろう。