思い出の味
見慣れた街の風景をぼくらはどれだけ忠実に描けるだろうか。頭のなかにある駅前の風景は、本当に現実のそれと同一だろうか。
十数年前から月に一回くらいの頻度で行っていたトラットリアが閉店した。
パスタとピザのおいしいお店で、はじめて食べたメニューがそこにはたくさんあったように思う。思えば、ぼくがはじめてカタラーナを食べたのもここで、濃厚なカスタードクリームと添えられたミントが与えてくれる清涼感の調和は奇跡のようだった。
そんなお店が、突然閉店した。
理由はわからない。その場所に行けば、まだそのお店自体は残っているけれど、中身は空っぽだ。ものごとは唐突に終わることがある。内情はゆるやかに終わりをむかえていたのかもしれないけれど。
お店がなくなって、ぼくに残ったのはポイントカードと記憶だけだ。その記憶を再現できるだけの調理技術はないし、再現できたとしても、きっとむなしいだけだろう。ぼくにとってあの味は、あの場所で食べなければ意味がないものだと思うから。
数年もすれば、きっとあそこは更地になるだろう。国道から一本奥に行ったところにあるから、人通りがそもそもあまりないような場所なのだ。お店がなくなったとき、ぼくはあらためてなにかを思うだろうか。また感傷に浸るのだろうか。まだわからない。