Mjuka

てきとうに。

筆記具に資格はいらない

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 万年筆が好きだ。なぜ好きなのかははっきりとしない。

 字が特段にうまいわけでもない。姉は習字教室に通っていたのに、ぼくにはそういう経験がない。もっといえば、じぶんの字はさほど好きではない。背勢気味の字は神経質そうで、余裕がない。だから意図的に向勢気味に書こうとする。あくまで意図的にだから、意識しないとそうはならない。字が体を表すというのが本当なのであれば、最悪なことだと心底思う。

 けれど、どんなに高級な筆記具だろうと、それを使うのに資格が必要だろうか。

 車を運転するのに免許は必要だけれど、高級車を運転するのにその技術の巧拙が問われるだろうか。

 もしかしたら笑うひともいるかもしれない。字がへたなくせに万年筆なんかを使っているだとか、運転がへたなくせに高級車に乗っているだとか。

 くだらないことだ。そういうひとは他人を嘲笑したいだけで、たとえ安いペンを使っていようと笑うのだ。

 道具には目的がある。ペンがほしくてペンを求めるのではなく、字を書くためにペンを求める。だから、字さえ書けてしまえば、どんなペンでも良いのだ。欲をいえば、書きやすかったり、赤や青などで書き分けられたら良い。そういうものだ。だから、この筆記具の種類が豊富にあり、ペンそのものの機能性が増した時代に、わざわざペン先に金を使っているような高級万年筆を使う必要はないのかもしれない。

 万年筆でなければならない場面というのは、もはや存在しないだろう。履歴書を万年筆で書くようなひとや、書くように指示するひと(企業)もほぼ存在しない。

 けれど万年筆はいまだに新作が出続けているし、特集している雑誌もたくさんある。それだけ、魅力的な筆記具なのだと思う。

 ただ字を書くだけの道具のくせに、装飾が施され、ペン先はただでさえ金であるのに、刻印などで飾られている。インクはボールペンと同じようにカートリッジ式のものもあるけれど、インクの入った瓶からわざわざ吸入するようなものがたくさんある。そして、吸入のたびに手を汚したりする。笑ってしまう。なんて面倒な筆記具なんだ。

 だからこそ、愛着がわくのだろう。そして、愛着に応えるように、万年筆はそのひとに馴染み、じぶんだけの最高の筆記具に育つ。(事実として、万年筆にはそのような性質があるので、他人に万年筆を貸してはいけない。)

 

 一般に「金ペン」と呼ばれるペン先が金の万年筆は日本のメーカーのもので、一万円から、海外メーカーだと三万円は下らないと思う。とくにイタリアのものは高い。

 こんな具合だから、複数本所有するのにはそれなりの覚悟が必要なのだけれど、不思議と増えてくる。一本の万年筆からまるで胞子が出ているかのごとく、気づくと増えている。それは、ガラスケースに入っているような万年筆に限らない。現在パイロットから販売されているkakunoは、その品質からは信じがたいが、千円で買うことができるせいで、際限なく増える。学生時代に色ペンを集めていたようなひとは要注意だろう。

 

 願わくは、これを読んでくれた諸兄姉が最良の筆記具と出会えますように。