誰かの親であるということ
ひとの親となった友人と会った。
うれしそうに見せつけてくる赤子のすがたは、他人のぼくから見ればただの赤子だった。それでも、友人が家庭を築いていくさまは、幸福というもののひとつの形だと感じられた。
ところでぼくは、じぶんの両親の友人を知らない。しかしきっと、こうしてひとの親となった友人がぼくにいるように、両親にもきっと友人と呼べる存在がいるはずなのだ。すごく不思議な感覚だ。
親という存在は、どこかヴェールがかかっている。ゆえに子供を叱ったりすることができるのだろう。親のむかしの過ちを知ってしまったら、説得力が損なわれてしまう気がする。
ぼくはきっとひとの親にはなれないだろうと思う。育てられるとはとうてい思えない。しかし誰しもが、親になる覚悟と資質が最初からあったかというとはなはだ疑問であるし、だからこそ子育てはおそろしく思う。
願わくは、ぼくの友人らが良き親となれますように。