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Mjuka

てきとうに。

「物語」る声優との距離感

 「作家の気持ち」というのは作家本人にしか(あるいは作家本人でさえ)知らないことであるのに、それを考えようとする試みは後を絶たない。このような作家を中心とした「読み」は、作家にたいする憧憬がどこかにあるのではないかと思う。そして、その憧憬は作詞をする声優にも向けられるのではないか。

 

 声優の花澤香菜はソロプロジェクトのなかでこれまでに5曲の作詞をしている(岩里祐穂と協同のものを含む)。1stアルバム『claire』では「おやすみ、また明日」を、2ndアルバム『25』では「マラソン」「Young Oh! Oh!」「粉雪」「真夜中の秘密会議」を手掛け、2ndアルバムの作詞について、花澤はおおくを語っている。

ナタリー - [Power Push] 花澤香菜 2ndアルバム「25」特集 花澤香菜×北川勝利(ROUND TABLE)インタビュー

花澤 ずーっと考えてましたね。でも歌詞を書くとなると、やっぱり経験していないことは書けないなと思いました。気持ちも入らないし。自分の中で大事な思い出になっていることは詞にしやすいんだなって。

 受け手はこのような回答を、作品を目のまえにしたときから期待してしまっているのかもしれない。それは、誰かが「物語」ったものには単一の理解があるのではないかと思っているからだ。作者の気持ちを考えるというのは、作者の過去や経験に思いをはせることに似ている。

 有名人は自らの過去を切り売りすることが多々ある。これはもちろん、有名人だからできることであり、一般人にはむずかしい行為だ。

 同インタビュー中、花澤は彼女の名前がクレジットされていない曲についても、自身の経験を歌詞に反映してもらっているということを述べている。

花澤 カジさんの曲は、私がテーマとしていくつか出させていただいたものやお話したことがそのまんま入っていて。パパとのデートの歌で、子供の頃は一緒にどんな映画を観た?って聞かれたから「E.T.とか、グレムリンとか」って答えたんですけど……(笑)。

 

──そのまま歌詞になってる。

 

花澤 もっと思い出ない?って聞かれて「パパの作るカリフォルニアロールはすごくおいしいです」って答えたり。

 

北川 すべて盛り込まれてる。全部入り(笑)。

 

花澤 でも正直、この曲が一番泣けるんです(笑)。電車とかで順番に聴いていてこの曲が流れると、「ああ泣いちゃう泣いちゃう。ああ、パパーッ!」って(笑)。

 花澤のこのインタビューのほか、声優が家族のことを語るのは、もはやめずらしいことではない。ときには一般人であるはずの家族をメディアで積極的に語ることすらある。ラジオ『洲崎西』ではパーソナリティのひとりである西明日香が姉を収録スタジオに呼び、その写真をTwitterにアップしている(

Twitter / suzakinishi: 収録を見学してたおねーちゃんだよぉおおおぉ!!d(・∀・*) ...

)。そしてそのような振る舞いをファンたちは(それぞれの形で)受容する。余談であるが、女性声優の語る「弟」を「彼氏」であると深読みする者もおり、小松未可子はそういった態度にたいして不満をあらわにしている(

Twitter / mikakokomatsu: 声優の言う弟が彼氏という風潮はいったいどこから生まれたのか、 ...

)。

 声優はその仕事柄かラジオパーソナリティになることがおおい。それはアニメや企業とのタイアップであったり、その声優個人の冠番組だったりする。そこにはあたりさわりのない番組にたいする感想だったり、パーソナリティ個人にたいする質問だったりがリスナーから送られ、それらにレスポンスをしていく。おそらくおおくのラジオ番組で(声優がパーソナリティの番組にかぎらず)同じようなやりとりが行われているだろうと思う。なので、声優「だけ」がこうであるということは言えないのだが、こうした相互的・対話的な構造がテレビ番組とラジオ番組ではおおきく異なり、それがパーソナリティとリスナーを近づけ、良く作用している点もあるのだろう。しかし、前述したように、声優はおおくのこと(じぶんの経験や家族のことなど)を語りすぎているように感じられる。

 作家が物語るときのように、声優がなにかを物語るとき、そこには現実の下敷きが必ずしもあるとはかぎらない。ファンの知っている声優の姿は「声優」としての姿だけであり、ひるがえって、声優はファン個人のことをほぼ知らない。関係妄想をこじらせてしまうまえに、「物語」とのあいだに一線を引かなければならない。