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Mjuka

てきとうに。

記憶のなかのひと

 ぼくには中学・高校とお世話になった先生がいる。
 通っていた学校が中高一貫校だったわけでも、この「先生」という記述がたんに複数であるというオチでもなく、同一の先生に、中学・高校でお世話になったことがある。
 「お世話になった」といっても、彼は担任をもっていたわけではなく、中学では国語を、高校では倫理を受けもつだけの、立場として表現するならば、おそらく講師だったのだろう。だからなのか、ぼくは教師の採用についてまったくの無知なのでわからないのだけれど、彼は一年で中学を異動した。
 おぼろげな記憶なのだが、ぼくが中学二年生のとき、彼は赴任してきた。彼を一目みて感じたのは端的にいえば、「異様」であった。
 教師といえば、それも義務教育の場では、体育教師を除けばわりとしっかりした格好をするものだと思っていたぼくにとって、無精髭を伸ばした教師の姿は異様というほかなかった。
 そんな彼も授業はほかの教師と同じようにこなしていたと思う。しかし、たまに疲れたような笑いをみせるような、やっぱりなんだか変なひとだった。そんなひとだったからこそ、ぼくの記憶に妙な定着をしてしまったのだけれど。
 ここでちょっと、ぼくの通っていた中学校のようすを補足しておくと、その学校の卒業式には、敷地の周りをパトカーが巡回するようなところだったといえば、察してもらえるだろうか。要は、問題児を多く抱えた学校であった。
 そのような学校であるために、授業中の教室でさえ、動物園とたとえてもいいような惨状だった。そんな場所で授業をする先生は虚しくなるのではないかと思うのだけれど、彼にかんしていえば、そんな感情も抱いていなかったのではないかと思う。それは彼が一年で異動することがわかっていたからなのか、それとも生来の無関心さのようなものなのかはわからない。
 たまたまぼくの席が教壇の直前であったため、ぼくは彼に話しかけられる機会があった。具体的には思い出せないのだけれど、それは教師の発言からはすこしズレていたように思う。(たとえば、授業に関連があるようでいて、試験では絶対に問われることのないような、彼の、もはや個人的な質問に対して答えると、「なぜ」そう考えるのかを重ねて問いかけてきた。いまにして思えば、この「なぜ」の問いは授業から逸脱していた。)
 あきらかに変なひとなのだが、このような教師らしからぬ言動はぼくにすこしばかり「考える」という行為を教育してくれたのではないかと、好意的に受けとめている。でなければこうして思い出話を書こうとは思わないだろう。
 こうして好意的に受けとめていた先生が一年でいなくなってしまうというできごとは、それなりにショックであったが、動物園のような校舎で生きていくには、そうも感傷的になっていられなかった。そして、ぼくの頭には「変な国語教師がいた」という記憶だけがのこった。
 その記憶が薄れきってしまうよりも早く、冒頭で述べているように、ぼくは進学した先の大人たちのなかから、見知った顔をみつけることになる。
 ぼくは高校で倫理の授業を受けなかったので、彼とのかかわりはこれ以降ほとんどないのだけれど、この「ありえない」はずの再会によって、ぼくの記憶のなかに、彼は強く刻みつけられてしまっている。しかしもし、高校で彼の倫理の授業を受けていたとしたら、ぼくの進路は変わっていたのではないか。そう思ってしまうのだ。

 ちなみに、この先生には、小説を書いていることを打ち明けたことがあった。どうしてそんなことを口走ったのかは覚えていないのだけれど、それに対して「書き続けること」というアドバイスなのかよくわからない言葉を受けたのを覚えている。