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Mjuka

てきとうに。

橋本紡の引退表明に思うこと

http://nekodorobo.exblog.jp/20279928/

 

Twitterでの自身の発言をまとめたものなので、全体的にみると違和感のある文章になっている)(2015年2月5日現在、閲覧不可)

 

 はじめて橋本紡の作品に触れたとき、たしかぼくは中学生で、学年は二年生ぐらい。そんなころ出会った作品が『半分の月がのぼる空』だった。

 そのときはまだ、ライトノベルを読みはじめて間もないころだった。ファミ通文庫で〈テイルズオブ〉シリーズのノベライズを読み、なんの拍子にか『キノの旅』(時雨沢恵一)を読んでいたころ。当時はまだそれほど大きな棚面積をもっていなかった、地方のちいさな書店のライトノベルコーナーで、ぼくは橋本紡の作品に手をのばした。(余談だけれど、手元にある本は、なんとなくどこの書店で買ったかを覚えている)。

 橋本は手を「伸ばす」あるいは「つかむ」という行為を重視する作家であることが、いくつかの作品を読むとわかると思う。(彼はそういった、身体的表現がうまい作家だとぼくは思っている。今回の引退表明のような文章にもそういった表現がみてとれる)。

 大学三年生のころぼくは『さよなら妖精』(米澤穂信)について、「相互不理解性」を身体の問題に引きつけつつ論じた。いくら身体が近づこうと、理解できないことだらけだと。……だけど。そう、だけど、この手を伸ばすのだと。(正確には「理解できない―だからこそ理解したい」と書いたのだけれど)。そういった感覚は、中学生のころの、橋本紡という作家との出会いから生じたのだと思う。いずれこの感覚を持つことが必然だったとしても、この事実は変えようがない。

 数年の時を経て、やがて橋本はライトノベルから離れ、一般文芸に活躍の場を移してゆく。

 最近、彼がたびたび述べていたライトノベルについての評は、あまり友好的なものではなかった。しかしそれ自体はあまり問題ではない。問題は、彼が書きたいものを書くには、ライトノベルから離れる必要があったということ。そしてその「書きたいもの」では売れないのだということだろう。

 誰に弁明するでもなく、単なる評価として、橋本紡という作家は、文芸の枠では売れている方だろう。けれど、今回書かれたように、この市場は縮小していくことが予想される。これは橋本だけの問題ではない。この、おおくの文芸作家を取り巻く環境についての確認作業は、なかば絶望的でさえある。

 しかしながら、この絶望的な出版状況そのものも、さして今回の件について問題ではないのだろう。橋本は、それよりも大きな「社会」に失望している。

 

本当に残念なのは、丸太橋を渡ったその先、土地が、さして魅力的に思えなくなってしまったことだ。パートナーを持たず、子供を持たず、ただ自分だけを見ている人たちがいる土地。僕はそこに住みたいとは思わない。僕は他人を求めたい。傷つきたい。喧嘩をしたい。

 

 橋本紡は、社会ないしは個人に、他者がいることを求めているのだろう。ここでぼくは「しかたないよ、人間は〈世界ー内ー存在〉なんだから」と的外れなことをいって混ぜ返してまうこともできるのだけれど、そうではない。むしろ、そんなことをいって他者を忌避するような人間が溢れるような社会に彼は魅力を感じないのだ。そして、そんな社会を変えられなかったことを恨んでいる。

 ……ならば、そうなのであれば、書き続けるべきなのではないかとぼくは思う。誰かとともにある世界がすばらしいのだと、書き続けることこそが、作家としての彼に求められているのではないか。

 しかし、そうはいっても、生きていくには、食べていく方策を探らなければならない。縮小してゆく市場に、わざわざ身を置き続けることは、あまり賢明なことではないだろう。

 つまりそういうことなのだ。芸術家が芸術のみをして食べていける時代は、ずいぶんまえに終わっている。それはたぶん、貴族が担ってきたパトロンの役割を、小市民が担うことになってから。小市民(読者)が読まなければ、芸術家(作家)は生きていけない時代なのだ。

  これは、彼がいっていることとは違う問題の話なのだけれど。

 

 しかしまあ、存命の作家の引退表明というのは、あまり聞かないことのように思う。言い換えれば、こういうことを表明しても、すこしでも人気のある作家でなければ、引退表明をしたとしても見聞きされもしない。ただ消え去るのみだ。

  森博嗣もけっこうまえに引退を表明しているが、彼の場合、それが戦略的なのであまり「引退」を感じさせない。だから、今回の橋本の表明は、ちょっとばかりおどろいている。まあ、以前にも「書けなくなるかも」という発言をしていたので、予想されうる事態だったのかもしれないけれど。

 これからどうなるのかわからないけれど、もし今後新刊が出たとき、ぼくはきっと喜ぶだろう。だけど、もしかしたら、ぼくは彼を忘れてしまう方が早いかもしれない。声をあげないということは、そういうリスクが含まれている。