Mjuka

てきとうに。

one's future

 後期最後の発表で、「卒業論文は桜庭一樹で書く」という宣言はしましたが、どんな内容で? という面であまり詰められていませんでした。(とりあえず、他者から共同体、その先の家族へ接続するというようなことを言ったような気がしますが……。)

 ぼくは「家族」のことを突き詰めて考えたいわけではなく、「家族ってそんなに大切?」という疑問からはじまって、「ぼくたちの家族って、なんか不自然……かも」とふんわりと着地したいなと思っています。ふんわりと着地するのには諸事情がありますが、クリティカルなことを言えば、ぼくがまだ「家族」という幻想を信じたいからです。恥ずかしながら、かなり個人的な事情がからんでいます。

 ただ、ぼくは「家族だから……」とか「家族のため……」というような、強迫的な家族幻想は積極的に捨ててゆくべきだという立場を取ります。あくまでも、居心地の良い共同体のひとつとして「家族」があればそれで良いではないかと考えています。なので当然、「家族」よりも大切な共同体があらわれても不思議ではありません。

 ひとことで言ってしまえば、「家族のプライオリティを見直しませんか」ということ。

 

 さてさて、ここまで書くと「論の骨子は『家族』なのね」となるわけですが、どうしたものでしょうか……。

 

 桜庭一樹はしばしば「少女」を描きます。(このことはレジュメに書いたかもしれません。)では、「少女」とはいったい――。「少女」と「女」は異なる存在なのでしょうか。このことを、桜庭が物語の舞台として「地方都市」をたびたび設定すること(e.g. 地方都市シリーズ)、そして「都市/地方(都市)」の対立からみえてくるものと、そこに渦巻く「血縁」と「地縁」の強度(ここから「家族」の話につながります)から考えていくつもりです。

 

 こうやって書いてみると原稿用紙にして一枚ほどで収まるんですね。やれやれ……。