Mjuka

てきとうに。

さよならだけが人生ならば、いつまでも憶えていよう

きょう、子どものころから度々通っていた書店が閉店する。 ここがもしFacebookならば、つまびらかにこの書店の名称や場所のことを書いただろうと思うけれど、ここではそうはしない。 その書店の近くには小児歯科もやっている歯医者があって、ぼくはそこに定…

もの言わぬ本は待ち続けている

【なぜ読書をしなければいけないのか?】という記事を読んだので読書家の母に聞いてみた話 pic.twitter.com/xzTxIdfs5y — 言 寺 (@310_64) 2017年4月19日 しばらくまえの話題について言及するのはこの高速化した情報社会において愚かしいことだとは思う。 さ…

夢のあとさき

meg rockの「clover」という曲が好きだ。 この曲はアニメ『SoltyRei』(2005-2006)のOP曲で、僕が深夜アニメ触れた初期のころに出会った。多感な時期に聴いた曲であるせいか、僕の心に深く刻み込まれている。 十数年月を経た現在、この曲を聞くと、あるひと…

会話文の練習

「恋人がいたことは?」とくに気になるわけでもない様子で彼女は聞いた。僕は「ありますよ」とだけ答えて沈黙してすこしの間考え込んだ。「恋人の定義ってなんでしょうね」自分で言っておきながら意味のわからない問いかけだと思った。だからそれに対して相…

小説家になろうに小説を投稿しました

「そうだ、小説家なろう」 そう思ったので小説家になろうに投稿しました。 Good morning to all よろしくお願いします。 筆名の多和田小径はここでしか使うつもりはないので気にしないでください。

VR技術のある世界、携帯電話のない世界――岡嶋二人『クラインの壺』

岡嶋二人『クラインの壺』を読んだ。初収単行本は1989年に新潮社より刊行されているが、現在主に流通しているのは2005年刊行の講談社文庫版だろうと思われる。新潮文庫版もamazonで在庫確認ができたが、地方の書店で目にしたことはない。都内の大型書店だと…

思い出の味

見慣れた街の風景をぼくらはどれだけ忠実に描けるだろうか。頭のなかにある駅前の風景は、本当に現実のそれと同一だろうか。 十数年前から月に一回くらいの頻度で行っていたトラットリアが閉店した。 パスタとピザのおいしいお店で、はじめて食べたメニュー…

銀座に寄ってから、大橋彩香さんのライブに行った話

去る6月5日、大橋彩香さんの初のワンマンライブ「start up!」を観にいきました。 その前に、銀座で買い物をしました。 朝起床したときは曇り空で最悪な気分になったのだけれど、東京に着いてみるとなかなかの晴天で、良い気分でした。 銀座では伊東屋(万年…

筆記具に資格はいらない

万年筆が好きだ。なぜ好きなのかははっきりとしない。 字が特段にうまいわけでもない。姉は習字教室に通っていたのに、ぼくにはそういう経験がない。もっといえば、じぶんの字はさほど好きではない。背勢気味の字は神経質そうで、余裕がない。だから意図的に…

ふさわしいことばを探して

新年に書くべきことばというのは、「あけましておめでとうございます」くらいしか思いつかいない。 昨年はいろいろなことがあったと思うけれど、はたしていろいろなかった年があっただろうかという気がする。幸せなことも不幸せなこともあったし、たぶん今年…

記憶の形はいつか変わる

亡くなったひとの歌声を聴くことは、そうめずらしいことではない。でなければ、過去の名曲というものは存在しえないだろう。しかし、亡くなったばかりのひとの歌声を聴く行為は、その瞬間にしかありえない。それが喪に服す行為なのか、あるいはただただ感傷…

小説の書き出し

告白の作法というものがあるとすれば、あの告白はそれに反するのではないかと思う。 告白にもいろいろある。いちばんポピュラーなのは愛の告白だろう。それ以外の告白? わたしは罪の告白くらいしか思いつかない。 はじめての告白は中学三年生のときだった。…

誰かの親であるということ

ひとの親となった友人と会った。 うれしそうに見せつけてくる赤子のすがたは、他人のぼくから見ればただの赤子だった。それでも、友人が家庭を築いていくさまは、幸福というもののひとつの形だと感じられた。 ところでぼくは、じぶんの両親の友人を知らない…

どうしたって大人になれない

最近の筆不精は精神的な余裕のなさのあらわれだと思っている。実際の忙しさとはあまり比例しない。 余裕のある生活というと、それは時間的な余裕を指しているように感じる。お金に余裕があることよりも、時間に余裕があるということ。 時は金なり、Time is m…

なんか書きます

きのう誕生日だったんでなにか書こうと思ってたんですけど、いやなんかすみませんね。 あとで、そう遠くないうちになにか書きます。

ゆらゆらとゆれる

道端で猫が死んでいた。 職場の飲み会から帰宅した母は「ただいま」も言わずそう報告した。「おかえりなさい。猫って、もしかして茶色の……」 冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して、こちらを見ずに答える。「色はわからないかったわ。何時だと思ってる…

「ガンバレ」は禁句?

今期の地方振興アニメ『ローリング☆ガールズ』のオープニングテーマは、いまから20年まえ、激動の時代であった1995年に解散したTHE BLUE HEARTSの「人にやさしく」を、主演女性声優らがTHE ROLLING GIRLSとして歌っている。この作品では劇中歌やエンディング…

Is Life Beautiful?

前回(ずいぶん経つ)に引き続き、曲名を記事タイトルにしようという試み。今回はしばらく活動を休止しているインディーズバンドresetの曲から。 reset - Is Life Beautiful? - YouTube たびたびこのブログで言及しているMintJamとはよく交流があり、resetの…

君の家に着くまでずっと走ってゆく

2013年に解散したGARNET CROWの曲でいちばん好きなのは「二人のロケット」だけれど、つい口ずさむのは「君という光」や「夢みたあとで」だ。べつに、GARNET CROWの話をこれからしようというわけではないのだけれど。 ひとは走るとき、なにを考えているだろう…

二十二世紀は遠く

「世紀末」という表現がはたして各世紀のいつごろを指すのか曖昧だけれど、ともかく二十世紀も残すところ十年とちょっととなったころのきょう、ぼくは生まれた。第一声がなんであったのか覚えていない。なにより、ぼくは話しはじめるのが遅かったらしい。き…

折り合い

しばらく生きていると、好きなことだけではなく、きらいなことや苦手なことと付き合っていかなければならないときがある。好きなものやことだけが増えれば良いのだけれど、なかなかどうしてそうはいかない。だからぼくたちはそれらと折り合いをつけて、暮ら…

Never forget this time.

父(宗教的な比喩ではない)は誰かの死について「忘れろ」と言う。より正確な言い方をすれば、そのひとが死んでしまったことによる「悲しみ」や「痛み」を抱えつづけるなと言う。なぜかと問えば「良いことではないから」だと答える。理不尽な返答だろうか。…

「物語」る声優との距離感

「作家の気持ち」というのは作家本人にしか(あるいは作家本人でさえ)知らないことであるのに、それを考えようとする試みは後を絶たない。このような作家を中心とした「読み」は、作家にたいする憧憬がどこかにあるのではないかと思う。そして、その憧憬は…

親の付き添い

東北大2次試験、受験生がバス乗れず 原因は「付き添いの親」 先日行われた東北大学の入試(二次試験)に受験生の親が付き添ったことが話題になった。ここまで大きな騒ぎになったのは「親の付き添い」というより、受験生がバスに乗れず試験会場に行けなくなっ…

いわゆるセカンドシーズン

花澤香菜のソロ活動セカンドシーズンが、ソロデビュー時と同じく北川勝利(ROUND TABLE)のプロデュース楽曲、『恋する惑星』(2013年12月25日発売)からはじまった。 セカンドシーズンではファーストシーズンとは異なり、北川以降の楽曲プロデューサーが発…

灰色文献と災害記録

世の中には「灰色文献」と呼ばれる、入手が困難な資料が多くある。官公庁の報告書などが「灰色文献」となりやすいものとして挙げられる。それらはもともと明確な流通経路が存在するわけではないために、入手が困難になりやすい資料だ。近年、これらの資料はw…

「音楽制作ユニット」MintJam

米澤穂信論を書けと急き立てられたのですが、なんの準備もなしに書けるものでもないので、同人音楽の話でとりあえずお茶を濁すことにします。 同人音楽の話はこれまでに何度かしていて、直近ではRocketeer Tracksについての記事がそうですね。誰かあの文章を…

気楽な人生

いわゆるライフハック系の記事が何年かまえに流行ったけれど、けっきょくあれはなんだったのだろうかと思うと同時に、あのようなお手軽自己啓発もたまには良いのではとも思うようになっている。 そんな言い訳をしながら、いまから自己啓発のような文章を書こ…

「おうちポップ」について――Rocketeer Tracksとの出会い

「おうちポップ」という独自の路線をひた走るRocketeer Tracksに出会ったころ、ぼくは大学一年生だった。 ある講師が宮沢賢治の「よだかの星」について雑談をしていて、ふと気になって検索したのがきっかけだった。そのときの検索ワードがなんだったのか、い…

記憶のなかのひと

ぼくには中学・高校とお世話になった先生がいる。 通っていた学校が中高一貫校だったわけでも、この「先生」という記述がたんに複数であるというオチでもなく、同一の先生に、中学・高校でお世話になったことがある。 「お世話になった」といっても、彼は担…