記憶の形はいつか変わる
亡くなったひとの歌声を聴くことは、そうめずらしいことではない。でなければ、過去の名曲というものは存在しえないだろう。しかし、亡くなったばかりのひとの歌声を聴く行為は、その瞬間にしかありえない。それが喪に服す行為なのか、あるいはただただ感傷的になっているだけなのか。どのような思惑によるのかはともかく、もう二度とこの歌声があたらしい歌をうたうことはないのだという事実は、深く突き刺さる。
とくにファンだったわけではないので固有名による言及は避けるけれども、いまこうして文章を書きながら、亡くなってしまったひとの歌を聴いている。こうしていると歌詞がどうしても気にかかる。語用論というわけではないけれど、この歌声のひとはこの世にはこういないのだという事実が、歌詞の意味を変えてしまったかのようだ。
あまり不吉なことを書きたくはないけれど、こうして書いてきた文章も、ぼくが死んだりしてしまったら、受け取り方が変わるのかもしれない。だけれども、ぼくはそんなことを念頭に置いてなにかを書いているわけではもちろんないし、この歌声にしたってそうだったろうと思う。すべての行為が「メメント・モリ」に基づいているわけがない。
(…)変わるって難しいことだ。成長するって、たいへんなことだ。だけどわたしは、がんばって生きていくぞ、と思う。
(…)
わたし、赤朽葉瞳子の未来は、まだこれから。あなたがたと同様に。だから、わたしたちがともに生きるこれからのこの国の未来が、これまでと同じくおかしな、謎めいた、ビューティフルワールドであればいいな、と、わたしはいま思っているのだ。(桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』)
小説の書き出し
告白の作法というものがあるとすれば、あの告白はそれに反するのではないかと思う。
告白にもいろいろある。いちばんポピュラーなのは愛の告白だろう。それ以外の告白? わたしは罪の告白くらいしか思いつかない。
はじめての告白は中学三年生のときだった。ラブレターをもらって、校舎の裏手にある自転車小屋に呼び出されて、告白された。「あなたが好きです」と。わたしはびっくりして断ってしまったのだけれど、あのときの彼はいまどうしているのだろう。十年近く経ったいま、たまに考える。もし、あの告白を受け入れていたら、とか……。
いまの生活にそう不満があるわけではない。けれど、きっと誰だって「たられば」を捨てきって生きてはいけないと思う。後悔はいつだって先回りしてくれない。
小説をどのように書くか。素人には確固とした手法があるわけでもなく、どうしても手癖に頼ってしまう。手癖というか、好きな作家の影響を色濃く受けてしまう。
ひとつだけ確かなのは、書き上げてからどうこう言うべきだろう。そしてそれはとても大変なことだ。ぼくはもうだめです。
誰かの親であるということ
ひとの親となった友人と会った。
うれしそうに見せつけてくる赤子のすがたは、他人のぼくから見ればただの赤子だった。それでも、友人が家庭を築いていくさまは、幸福というもののひとつの形だと感じられた。
ところでぼくは、じぶんの両親の友人を知らない。しかしきっと、こうしてひとの親となった友人がぼくにいるように、両親にもきっと友人と呼べる存在がいるはずなのだ。すごく不思議な感覚だ。
親という存在は、どこかヴェールがかかっている。ゆえに子供を叱ったりすることができるのだろう。親のむかしの過ちを知ってしまったら、説得力が損なわれてしまう気がする。
ぼくはきっとひとの親にはなれないだろうと思う。育てられるとはとうてい思えない。しかし誰しもが、親になる覚悟と資質が最初からあったかというとはなはだ疑問であるし、だからこそ子育てはおそろしく思う。
願わくは、ぼくの友人らが良き親となれますように。