小説の書き出し
告白の作法というものがあるとすれば、あの告白はそれに反するのではないかと思う。
告白にもいろいろある。いちばんポピュラーなのは愛の告白だろう。それ以外の告白? わたしは罪の告白くらいしか思いつかない。
はじめての告白は中学三年生のときだった。ラブレターをもらって、校舎の裏手にある自転車小屋に呼び出されて、告白された。「あなたが好きです」と。わたしはびっくりして断ってしまったのだけれど、あのときの彼はいまどうしているのだろう。十年近く経ったいま、たまに考える。もし、あの告白を受け入れていたら、とか……。
いまの生活にそう不満があるわけではない。けれど、きっと誰だって「たられば」を捨てきって生きてはいけないと思う。後悔はいつだって先回りしてくれない。
小説をどのように書くか。素人には確固とした手法があるわけでもなく、どうしても手癖に頼ってしまう。手癖というか、好きな作家の影響を色濃く受けてしまう。
ひとつだけ確かなのは、書き上げてからどうこう言うべきだろう。そしてそれはとても大変なことだ。ぼくはもうだめです。
誰かの親であるということ
ひとの親となった友人と会った。
うれしそうに見せつけてくる赤子のすがたは、他人のぼくから見ればただの赤子だった。それでも、友人が家庭を築いていくさまは、幸福というもののひとつの形だと感じられた。
ところでぼくは、じぶんの両親の友人を知らない。しかしきっと、こうしてひとの親となった友人がぼくにいるように、両親にもきっと友人と呼べる存在がいるはずなのだ。すごく不思議な感覚だ。
親という存在は、どこかヴェールがかかっている。ゆえに子供を叱ったりすることができるのだろう。親のむかしの過ちを知ってしまったら、説得力が損なわれてしまう気がする。
ぼくはきっとひとの親にはなれないだろうと思う。育てられるとはとうてい思えない。しかし誰しもが、親になる覚悟と資質が最初からあったかというとはなはだ疑問であるし、だからこそ子育てはおそろしく思う。
願わくは、ぼくの友人らが良き親となれますように。