Mjuka

てきとうに。

小説の書き出し

 告白の作法というものがあるとすれば、あの告白はそれに反するのではないかと思う。

 告白にもいろいろある。いちばんポピュラーなのは愛の告白だろう。それ以外の告白? わたしは罪の告白くらいしか思いつかない。

 はじめての告白は中学三年生のときだった。ラブレターをもらって、校舎の裏手にある自転車小屋に呼び出されて、告白された。「あなたが好きです」と。わたしはびっくりして断ってしまったのだけれど、あのときの彼はいまどうしているのだろう。十年近く経ったいま、たまに考える。もし、あの告白を受け入れていたら、とか……。

  いまの生活にそう不満があるわけではない。けれど、きっと誰だって「たられば」を捨てきって生きてはいけないと思う。後悔はいつだって先回りしてくれない。

 

  小説をどのように書くか。素人には確固とした手法があるわけでもなく、どうしても手癖に頼ってしまう。手癖というか、好きな作家の影響を色濃く受けてしまう。

 ひとつだけ確かなのは、書き上げてからどうこう言うべきだろう。そしてそれはとても大変なことだ。ぼくはもうだめです。

誰かの親であるということ

 ひとの親となった友人と会った。

 うれしそうに見せつけてくる赤子のすがたは、他人のぼくから見ればただの赤子だった。それでも、友人が家庭を築いていくさまは、幸福というもののひとつの形だと感じられた。

 ところでぼくは、じぶんの両親の友人を知らない。しかしきっと、こうしてひとの親となった友人がぼくにいるように、両親にもきっと友人と呼べる存在がいるはずなのだ。すごく不思議な感覚だ。

 親という存在は、どこかヴェールがかかっている。ゆえに子供を叱ったりすることができるのだろう。親のむかしの過ちを知ってしまったら、説得力が損なわれてしまう気がする。

 ぼくはきっとひとの親にはなれないだろうと思う。育てられるとはとうてい思えない。しかし誰しもが、親になる覚悟と資質が最初からあったかというとはなはだ疑問であるし、だからこそ子育てはおそろしく思う。

 願わくは、ぼくの友人らが良き親となれますように。

どうしたって大人になれない

 最近の筆不精は精神的な余裕のなさのあらわれだと思っている。実際の忙しさとはあまり比例しない。
 余裕のある生活というと、それは時間的な余裕を指しているように感じる。お金に余裕があることよりも、時間に余裕があるということ。
 時は金なり、Time is money……。時間とお金は反比例。
 そんな話をしようと思っていたのではない。だけれども、なんの話をしようと思っていたのかさえわからない。

 去る7月24日に、武道館でおこなわれたUNISON SQUARE GARDENのライブに行った。とくに好きだったわけではないけれど、誘われるがままに行くことを決めた。
 彼らはかっこいいバンドだった。演奏も巧く、多くのファンがつくのもわかるような気がした。
 兎にも角にも、24歳最後の日は激動の1日だった。

 もっと書きたいことがあったような気がするけど、スマートフォンで文章を打ち込んでいくのは苦痛だ。

ゆらゆらとゆれる

 道端で猫が死んでいた。
 職場の飲み会から帰宅した母は「ただいま」も言わずそう報告した。
「おかえりなさい。猫って、もしかして茶色の……」
 冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して、こちらを見ずに答える。
「色はわからないかったわ。何時だと思ってるの」
 0時15分あたりを指す居間の振り子時計は、5分早く進んでいる。
「ああ、もう日付またいでたんだ。気づいてなかった」
 そう、と返事をしながら母は氷とお茶で満たしたグラスを片手に私の向かいに腰掛けた。
「勉強はどう?」
 母がこんなことを訊いてくるのはめずらしいことだった。
 居心地の悪さを感じた私は「まあまあ」とだけ答えた。
「どうして炬燵で勉強しないの。寒いでしょう」
「寒いといえば寒いけど、炬燵だと寝ちゃうから」
 「それもそうね」と同調しながらグラスを持ち上げると、からんと涼しげな音が季節外れに響いた。
「あの猫、きっとあの子よ」
 グラスに口をつける直前、唐突に母そう告げた。

 数週間まえから、近所に茶トラの猫がよく現れるようになっていた。
 痩せていて、あばらのすこし浮いている野良猫によくいる体躯。それでいて、毛並みの良さそうな見た目をしていた。
 私の家では2匹の猫を飼っていて、窓越しによく鳴きあっていた。けんかをするでもなく、たんたんと。
 野良猫と飼い猫のあいだに共通のことばがあるのか、私は知る由もない。
「にゃあにゃあ」
 友人に無愛想だと言われる私は、きっといつもどおりの無愛想だな表情で、声音で、その野良猫に話しかけたことがあった。そのとき家の猫はオーディオスピーカーや食卓の椅子のうえで眠っていた。
 話しかけたと言っても、私は「にゃあにゃあ」と発話しただけで、そこに意味を乗せ忘れていた。
 だからだろうか。野良猫はじっとこちらを見つめるだけで、なにも言わない。
「にゃあにゃあ」
 今度は「こんにちは」ぐらいの意味を乗せて呼びかけた。
 すると野良猫は私よりも数倍かわいいだろう声音で「にゃあ」とひとつ鳴いて遠ざかっていった。
 このときはじめてその猫の長い尻尾が、先端に近づくにつれて縞模様のコントラストを強くしていることを知った。

「どうしてそう思うの」
 白と茶の縞模様が頭のなかでゆれる。尾の先端は白だったことを思い出す。
「なんとなくよ」
 母は興味がなさそうにそう答えたを
「あしたになればわかるでしょう」

 野良猫は2週間ほどまえに子供を3匹もうけていた。うち2匹は親猫に似て茶トラで、もう1匹は黒と茶と白の三毛猫だった。
 野良猫は子猫を連れて、朝夕に隣家で食事をもらっていた。夕方はそれを食べたあと、私の家と隣家を隔てるフェンスをくぐって、草木生い茂る庭で遊ぶことが日課になっていた。ときおり、網戸にしがみついて遊ぶのをみて、母は苦笑していた。そしてしばらくすると、野良猫の一家は尻尾をゆらしてどこかへ帰っていく。

「お母さん。きょう、あの猫たち遊びにきてない」
 私はきょう、野良猫たちの姿を、あのゆれる尻尾を、見ていない。
 不意に背後で、かたん、かたんと音がして、私は反射のように振り返った。
 いつのまにか起きていた飼い猫の1匹が、かつおぶしの入ったポリ容器を叩いていた。