Mjuka

てきとうに。

布を羽織った獣

 最近よく洋服のことを考えている。

 服がきらいでも、この社会で生活している限り、服を着なければ生きていくのはむずかしい。けれども、どれだけ服が好きであっても、この社会で生活していくには、着られる服は限られる。

 悲しいことに土日休みの労働者であるところのぼくは、週末に服を買い、翌週末にその服を着ている。もしその服がフォーマルなものであれば平日に着ることもできるが、そうもいかない。

 意外と、自由な服装を許されている場はすくない。休日の外出であっても、あまりに奇抜すぎる格好を貫き通すには、とても強い自我が必要だし、度が過ぎれば公共の場を乱したと思われかねない。街はランウェイではないのだ。

 

 UNIQLOでの買い物は自傷行為にも似ていて、際限なく縫い合わせた布を買い漁ることで満ち足りた気分になる。最近は実店舗に行くのも面倒になり、オンラインで済ませている。全身のコーディネートがUNIQLO製品であっても気づかれないし、そもそも他人の服に強烈な関心を持って接してくるひともあまりいない。あなたは、他人の服がどこのブランドのものか気にしますか?

 とはいえ、ブランド品に興味がないかと言えばそんなこともなく、最近良いコートを買ったのではやく着させてくれと冬の訪れを切望している。

 

 余談。朝礼で冬が好きと言ったら否定的な意見が多くて驚いたよ。

食べるコミュニケーション

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 ひとりの食事は、その料理と向かい合いすぎてしまい、おいしくないように感じる気がする。

 じぶんが繊細な味覚の持ち主だとは思わないけれど、誰かといっしょの食事のときには感じられないような「雑味」覚えることがある。「雑味」というのが本来的にどのような意味であるかとか、どのようなものであるかは知らない。ただ漠然と、「おいしくなさ」のひとつだと思っている。

 手の込んだ料理がかならずしもおいしいわけではないことは、身をもって知っている。そしてそれがとてもつらいことも。

 「おいしくない」。そう言ってしまうのはひどく簡単だ。ただそれを料理をつくってくれたひとに言うのは配慮に欠けるし、失礼なことだ。だから僕は口を噤んでにこりと微笑む。

万年筆を買った

 ひさしぶりに新しく万年筆を買った。……というのは嘘で、たまに数千円の万年筆は買っていた。けど、きょう買った万年筆はペン先が18金のちょっとだけ高価な(万年筆としてはスタンダードな)価格のものだ。

 キャップレス デシモ。これがきょう買った万年筆の名前。メーカーはパイロットで、ぼくの所有する万年筆のほとんどがここのもの。パイロットコーポーレションに入社したい。

 キャップレスシリーズは前々からほしかったのだけれど、どうにも踏ん切りがつかないでいた。理由はよくわからない。価格のせいかもしれないし、キャップレス独自の構造そのものに不安があったのかもしれない。それがなぜ今回の購入に至ったのかといえば、それもよくわからない。ショーケースから店員さんに商品を出してもらい、試し書きをしてしまった手前、後に引けなくなってしまったのかもしれない。

 それでもぼくの心は充足し、あしたからまたがんばろうという気になる。嘘。がんばる気なんてさらさらない。この万年筆とともに、あしたからは歩いていこう。そう思う。

新年の挨拶をするひとはいますか?

 数年まえまでは、と書きはじめようとして、それはすでに十数年まえのことではと思い直したところで、新年を祝うメッセージが電子の海を漂って受信することがなくなった。とはいえTwitterなどをみればそれらの言葉を目にすることはあるが、それは僕に向けられたものではない。

 それが悲しいことかと問われれば首を横に振ることは間違いないし、できれば新年早々に多数のひとと儀礼的で形式的で使い古されたやるとりを、これほどまでに発達した情報機器でしたくはない。とはいえ年賀状は何枚か書くし、何枚か予想外のひとから届いては返事を書く。できれば一言添えたいと思うのけれど、予想外のひとというのは普段から関わりがあるわけではないので気が利いたことも思いつかず、つまらない挨拶を走り書きしてしまう。まったく、紙とインクと輸送費の無駄である。

 Twitterでは……SNSではと書きたいけれどInstagramですらよく知らない……年が明けた瞬間にそれを祝う言葉が飛び交う。おそらく年明け数分まえから用意をしているのだろう。そうしているとき、そのひとたちの周りのひとはどうしているのだろう。すこし不思議な感じがする。きっと無言ではないと思う。口々に「あけましておめでとう」と言いながら、tweetもしているのだろう。ひとは、誰かと祝いたい気持ちが強くなっているのだろうか。なにがめでたいのかもよくわからないまま。

 新年を迎えると、たしかになにかが変わったような気がする。あたらしいことを始めようと思うこともある。だからそれを、つぎの年越しまで続けていくことを目標としたい。なにをするかも決まってないけれど。

 なので、新年おめでとうございます。